先日恒例の月岡温泉での忘年会が執り行われた。
相変わらず笑いに終始して楽しく一晩過ごした。月岡温泉といえば今では日本一と評されるホテルが
あるほど全国的にも有名ではあるが昭和30年代に源泉が発掘されたころは湯治場として営業をしていた。
今でも温泉街の中心に当時の発掘した場所が保存され「日本一まずい飲める温泉」として
人気の観光スポットではあるがわがグループとの関係はいかがだったのかである。
そのころの(昭和30年代)の温泉客は湯治場として長期滞在が中心で食事も自炊が主体であったらしい。
そこで客が要望すれば食材はその宿が地元で調達していた。それほど物量は多くなく
岩村精肉店が日に一度バイクで配送していた。また冬場で大雪になると
新発田駅から羽越線で月岡駅に駅止めにして湯治場の方が徒歩で取りに来られたと聴いている。
今では我が社はほとんどのホテルとの取引があるがそこには先人の大きな努力とそれに培われた信用が
あるに違いない。
一首 血圧値体温心肺範囲内七十三歳深々呼吸 志ん笑