昭和30年代、新発田には20件を超えるいわゆる「肉屋」があった。
ほとんどが一軒間口の狭い店舗が多かった。わが店もいわゆる大善寺小路(中央町3)に店舗を構えていた。
当時の豚肉の流通は主に「枝」と呼ばれる豚一頭を縦割りにした骨付き肉。
それを職人たちが半日かけて抜骨してよく日の販売に備える。当時わが店は日々5頭分(10本の枝)の豚肉の抜骨していた。
重量はやく300キロである。それをよく日筋抜きをしてスライス・・・あるいはブロックで
市内の料亭や月岡温泉などに卸していた。そんな中冬場はまだしも夏場の炎天下の中で反日も
枝をつるして裁いていたのだから今考えると鮮度のためには最悪だったのかも知れない。
それでも市内では最も扱い量が多かったのだから何をかいわんやである。
一首 花の名を知らない吾と山の名を知らない妻がかたる二王子 志ん笑