初代理事長O氏は怒りが頂点に達した。
新発田市岡田地区に昭和63年にスタートした新発田食品団地はいよいよ造成して
各社の建設の見積もりが上がってきた。そのころは建設不況の真っただ中、建材や人工の余剰が出ている時期ではあった。
金融機関の金利は6%から8%と今では比べられないほどの高金利だったと記憶している。
その中での国が支援する高度化資金2,7%は我々中小企業にとっては垂涎の金利だった。
いよいよ各社の見積もり合わせがはじまってあけてみたところ10社中大手のNとKは既にほかの業者の指名が決まっていたのだ。
これには入札業者Mは納得しなかった。そこで言ってはいけないひとこと「この入札は
例えて言えば母屋を取られて犬小屋だけ発注をいただいたようなものですよ・・・」
その一言に理事長Oは「我々の大切な工場を犬小屋とは何事だ・・・・」。その一言で会場全員が震撼した。
実はO氏は戦中中国は大連で起業して成功した筋金入りの硬派であった。
一首 汗かかず息継ぎもせず水飲まず二足ロボット走る不気味さ 志ん笑