今でも忘れない東日本大震災・・・・これまで例を見ない大きな被害
地震 津波 放射能汚染。
そんな中で南相馬から日本屈指の和牛の生産者S氏が避難してきた。とにかく福島県産というだけで
魚も畜肉も野菜類も市場に出せないのだ。Sは新発田の山間に和牛の生産を始めた。もとより生産技術の
択一していた彼は新発田産の和牛を作り始めた。すでの生産をしていた農場たちと行政が力を合わせて
新発田産の和牛のブランド化を模索し始めた。新潟にはすでに村上牛という全国ブランドがあった。
新発田和牛の推進協議会が設立されメンバーには各界(行政 生産者 JA 問屋 販売者 外食事業者)が選ばれた。
第一回目でネーミングをどうするかの議題が出た。
そこであるメンバーから「「シバタギュウ」では全国のほとんどが名乗っている。「シバタウシ」
と命名したら全国にはあの「マツサカウシ」以外はあまり聴いたことがない」
との意見から他との差別化を謀り「シバタウシ」と名付けられた。
しかしまだまだ課題は山積していた・・・・・・・
一首 アメリカは世界の警察だったはずいまではすっかりヴェニスの商人 志ん笑