新潟ポートリー事業協同組合は採卵鶏の処理場で長年第一工場と第二工場との二元管理をしてきた。
そてが突然全体の17%の原料が無くなる事態になった。
二つの工場を稼働している場合ではない。そこで三代目社長とS常務は一元化する決断をした。
期間も身近く3カ月しかなかった。当時117名の従業員。管理者も両工場で20名近く在籍していた。
従業員だけでなく機材やコンテナ、電気機器など物量だけでも二倍を移動させなければならない。
この場合現場の職員はすべて反対の立場を主張しがちである。しかしあろうことか両工場長も
反対の立場を取り始めた。そこで常務は悩んだすえすべての案件のついて社長の代弁を勤め上げた。
それはかなりの精神力だったに違いない。
しかしまだまだ課題はあとから追いかけてきた。
一首 夏の雲峰に連なる二王子の朝が始まるやや霞つつ 志ん笑